Kim & Jessie & ......

見つけてもそっとしておいてください……

学科同期 後編

入浴が済むと酔いが覚め,頭がすっきりしました.

21時からは2つのゼミ合同でコンパがありました.

ロッジの地下にただっ広い会議室のような部屋があり,そこにパイプ椅子を並べて簡易的なコンパ会場がつくられるのです.昨年はゼミの先生2人を含めて朝4時ごろまでお酒を飲み喋り明かしていた記憶がありましたが,今年はそこまで起きていられる元気は無さそうだと感じていました.

 

地下に降りるともうすでに後輩や同期が集まっていて,椅子を円形に並べて雑談をしていました.

ほろよいを1缶拾って空いている椅子を見つけ,てきとうに会話に加わりました.

 

コンパで大活躍をするのはいつも陽キャです.

椅子の円の中心に入り,飲みが盛り上がるゲームを考案するのです.

今回考案されたゲームは,名前を覚えるゲームでした.円に加わっている学生1人1人のフルネームを順番に覚えていき,復唱していきます.つまり,順番が後になればなるほど復唱する名前の人数が増えていくので,忘れるリスクが高まります.そしてこれはお決まりですが,間違えたり詰まったりした人が酒を飲むというものでした.

相変わらず天才的だと思いました.面識のないもの同士がお互いに名前を覚えられるので良くできたゲームです.

 

円の中には細目も丸メガネもいました.私はこのゲームを通じて2人のフルネームを知ることができました.

 

3年生の男の子や女の子が小グラスに入った酒を一気飲みし,ゲームがひと段落して,円にいた人たちとまた軽く雑談をしました.誰かが,夏だし怖い話をしようなどとベタな提案をし,何人かが怖い話を披露しました.この辺りから酔いが回り,大声で騒いでいたこともあいまって頭が割れるような頭痛がしてきました.

 

一度トイレに行き嘔吐しました.黄緑色の吐瀉物が流れました.

 

コンパ会場に戻ると細目が心配そうに声をかけてきました.顔色が悪いししんどそう,大丈夫か.私は,頭痛いんだけどもう平気そうと答えました.すると,頭痛薬が部屋にあるからあげると言われ,嘔吐によって体調が一時的に良くなっていた私は,素直に嬉しくなって,彼の好意に甘えることにしました.

 

 

頭痛薬を取りに4年生の男子部屋に行きました.ドアの前で待っていてもよかったのですが,気分が高揚していたので,何の気なしに細目と一緒に部屋に入りました.

頭痛薬を探して鞄をごそごそする後ろ姿が妙に愛らしく,ぼんやり見つめていたら,あったよ,とくるっと振り返り笑顔を浮かべていました.

どんな人間も安心させる,お馴染みの人懐っこい笑顔でした.

 

その笑顔を目にしたら突然,彼とキスがしたくなりました.

どうしたらこの状況からキスに持ち込めるのかなという考えで脳が埋め尽くされました.

なんとなく,今晩を逃せば,東京では今のような距離感で話すことも触れることもできない予感がしていました.

また,こんなに純粋で可愛い人が,我慢できず自分に性欲に近い欲望をぶつける状況を見てみたいという,私自身の下心もありました.

 

部屋でゴキブリが出た時のことがふと頭をよぎりました.

 

あ,ゴキブリ!

と声を張り,細目くんの右腕に自分の両腕を絡み付けました.

我ながら,人種の違う女子学生たちにうまく擬態できたと思いました.

 

すると,予想外なことに細目は本気で慌てだし,

え,どこ!無理!どうしよう!俺虫無理なんだよ!ときゃあきゃあ騒ぎ出しました.

しまった,そういう感じかよと思い,嘘だよ!びっくりした?と絡んだ腕を緩めました.そのまま手首まで下げ,両手で右手首を握っている形になりました.

やめて,本当に焦ったよ.ごめん,でもさっき女子部屋で本当にゴキブリが出て大変だったの,などと話しながら2人で近くにあったベッドに腰掛けました.

 

左手で細目の右手首を掴んだまま,右手でペットボトルの水と頭痛薬を順番に受け取り飲みました.

そんなにすぐ効くはずもないのに,飲んだ直後に,薬の副作用で眠くなってきた〜〜と大げさに告げ,ベッドに仰向けに寝ました.

そんなわけないでしょうと優しくツッコミを入れられました.右手首は掴んだままでした.そのまま少しだけ自分の左手を下ろすと,彼の分厚い手の平にたどり着きました.

 

”気をつけ”の体勢をして,外から見えない部分は全て性感帯だと聞いたことがあります.足の裏,内腿,腋,手の平もそうです.

 

私は,仰向けで天井を見たまま,左手の指で彼の右手の平を円を描くように撫で,指をつまんだりしていました.

こういうのいいねと言いながら彼も隣に横になりました.

手の平を撫で回しながら体の向きを変え彼の方を向くと,彼も私の方を向いていて目が合いました.これだ,とピンときたので,吹き出さないように注意して若干上目遣いの真顔でじっと,吸い込まれそうな彼の細い目を見つめました.

 

 

お互いに目をつむり,キスをしました.

 

 

さっきまでの邪な下心は消え失せていました. 

とても,泣きそうになりました.

 

私は今,大学生の集団の合宿で,男女2人でコンパを抜け出すというような,乱れた事態にあるのでした.

しかし,そんな実感は全く持てなくて,

こんなにも,忌み嫌い,たかをくくり避けてきた,大学生特有の猥雑な事象が,こんなにも,胸が張り裂けそうな青春だったとは

なんて,裏切られた気分でした.

上京したての,何も知らなかった等身大の自分でいるようでした.

それなりに一通り色々な感情や経験を済ませてきたようで,まだ底に,こんな澄明な感情の原石があったことに驚きました.

とりあえず唇を合わせたものの,それ以上何もできず,目がうっすらと開いて視線が泳ぎました.口もぼんやり開いていました.鼓動が,かつてないくらい早まっていました.

そして,こんな多幸感は,薄汚れた自分に似つかわしくないとも感じました.

 

自己の価値や世間の杜撰さを確かめるように,パパ活のような恋愛を繰り返していた私は,淡く宝物のようなキスに値する人間ではないと思いました.

 

私は,恋愛と呼べないようなしょうもない人間関係をこなしながら世の中の全てを見下していて,そしてそういう態度でいる自分が最もしょうもないことも心得ていました.

そんな風にこじれにこじれ,ふてぶてしく成長した自分がちゃっかり,純粋な人間に戻ったつもりで恋を始めようとしていることに困惑し,この感情を明日からはちゃんと搔き消し,しょうもない日常に戻っていかなくてはと言い聞かせました.それは,自分が傷つかないための卑怯な言い分でした.

 

ふと,彼に恋人がいたことを思い出しました.

私は,裏路地に小走りで消えていくドブネズミのような心持ちで,逃げ道を見つけたと思いました.

 

彼が,私が泣きそうな顔をしていることに気付いてなのか,困った表情になりながら,もう一度じっくりキスをしてこようとしたので,いよいよ本当に泣きそうになって掠れた声でささやきました. 

 

こういうの浮気って言うんじゃない?

 

彼の表情がこわばり,唾をごくりと飲む音が聞こえました.

両手で肩を優しく押し返し,やっぱり頭がまだ痛いから寝ようかなと言い,眉をひそめた曖昧な笑顔を向けてから部屋を出ました.

 

自分がふっかけておきながら置き去りにして,いじわるだと思います.浮気なんて言い草は最低そのものです.しかしながら,部屋を去った私はこれでよかったのだという達観の方が強く感じられました.

キスをした後の私の反応が,彼にとって想定内か想定外だったのかは少し気になりましたが,どっちにしろ彼と付き合うどころか,キスする資格すら最初からなかったのだと妙に納得していました.あってはならない,分不相応な展開だったのです.

床の冷たさを噛み締めながら,一歩一歩廊下を歩きました.なぜか右足だけ靴下が脱げていましたが,取りに戻るのも面倒だしどこで脱ぎ捨ててきたのかもわかりませんでした.

 

靴下すら両足まともに履いてられない自分なのだ,彼の恋人はきっと靴下を片方無くすなんてことはないだろう.

左足だけ覆うくすんだ色の靴下が,全ての顛末を語っているように思いました.

 

 

翌朝,5時間ほど寝られたので頭痛も吹き飛びそこそこに元気を取り戻して,8時ごろロビーに降りて用意された朝食を食べました.

朝食の席には3分の1ほどの学生しかおらず,卵焼きやサラダ,焼き魚一式がたくさん残されていて寂しそうでした.残されたおかずたちを見ていると,なんとなく,数時間前に部屋に置き去りにした細目のことが頭に浮かんで申し訳ない気持ちになりました.起きていない人々は明け方まで飲み明かしていたんだと思われました.

 

チェックアウトは10時でした.

朝食を食べ終わり部屋に戻って,まだ眠っている同室の女学生たちにやんわり声をかけ起こしていきました.彼女らは明け方までコンパに参加していたと見受けられ,少し羨ましく思いました.

荷物の整理が終わり部屋を出てロビーのソファでくつろいでいると,細目や丸メガネたちがとんでもなく眠そうな顔で降りてきました.顔色もすこぶる悪く,そんな様子を見てちょっと笑いそうになってしまいましたが,声をかける勇気は出ませんでした.眠そうじゃん,大丈夫?とでもなんでも,自然にかけられる言葉はあったはずなのに.

 私はそのままいそいそとロッジのシャトルバスに乗り,駅に向かってしまいました.

 

伊豆急行伊東線東海道本線,山手線.

 

行きと同様のんびり乗り継ぎ,東京に戻ってきました.途中で少しづつ人が減って行き,最後に1人に残る帰路は昔から嫌いだったことを思い出しました.

 

 

 

10月から,大学生活最後の学期が始まりましたが,細目とは学内で顔を合わせることはありませんでした.

 

 

そのまま彼とは会うことも,言葉を交わすこともなく,私は大学を卒業しました.

 

 

 

 

***

 

丸の内OLになりました.

 

 

大学卒業後,まったりとした金融機関に入社し営業職を務め,3年目の夏に差し掛かろうとしていました.

 

私は相変わらず恋愛と呼べないようなしょうもない人間関係をこなしていました.

 

先月までは,隣の部署の10こ歳が上の上司と不倫をしていました.

彼にはとてもおしとやかでマメな専業主婦の妻と,利発な一人娘がいて,私は彼が家族の話を愛おしそうにする様子がすごく好きでした.

なぜなら,こんなにも家族を愛おしそうにし大切に語るその上司が,裏で20代の小娘とやましいことをしているという状況がとてもインモラルで,その上司を卑劣で小賢しく,しょうもないクズ野郎として見下せるので,心地が良いのです.

また,単純に自分には彼のように幸せな家庭を築くことができなさそうなので,幸せな家庭の話を聞くことで想像を膨らませ,その幸せを疑似体験できること,および私が彼と不倫することはその幸せに水をさすことになるので,私自身の利己的な羨望と嫉妬に起因する遠回しな復讐とも捉えられるのでした.

しかしながら残念なことに,不倫が妻にバレてしまったようです.

上司は,バツが悪そうに,別居するかもしれない,君のことが本気で好きになりそうだ,助けてくれ君しかいないなど,そんなことを言って喜ばれるとでも思ったのでしょうか,身にもならない言葉をかけてきました.

私は,幸せな家庭を維持しながらこんなクソみたいなことをしているあなたが気に入っていたのに,本気になられても困るし魅力がなくなった,と告げました.

上司は,そんな酷い仕打ちがあるか,妻と別れて一緒になろうと言ってるんだぞ,どうして喜ばないんだ,人の気持ちがわからないのか,などと逆上してまくし立ててきましたが,つまらなくなりすっぱりと縁を切りました.

幸い,同じタイミングで上司が転勤となったので,私は何事もなかったかのように同じ会社で仕事を続けているのでした.

 

不倫をやめると時間ができたので,以前読んだ漫画や鑑賞したアニメ作品などを見返してエモい気持ちになることがマイブームとなりました.そうやって1人で帰宅後の時間を潰し,翌日は仕事をこなしての繰り返しで,のらりくらりと生きながらえているのでした.

 

最近はもっぱら,小学生の頃に見た「ゼーガペイン」というロボットアニメを鑑賞し直していました.もう10年以上も前の作品であることに驚愕しました.

このアニメの登場人物たちは,コンピューターサーバ内の記録データに保存された人格記憶媒体であり,永遠に高校時代の8月を繰り返しているという話です.現実世界は荒廃しており,そこでは高校生たちがコンピューターを飛び出してロボットに乗り込み,敵のメカと戦うのです.

 

第1話を観た時は正直,昔のアニメっぽいもっさりした演出が多く,こんな感じだったけなあと期待はずれな印象を受けました.ただ,不倫をしているよりもよっぽど健全な時間の使い方であることは理解していたので,観続けようと思いました.

1話を最後まで観て,エンディングの曲が良かったことを思い出しました.個人的にはオープニングの曲の方が好きなのですが,その曲に対しては,昔観たアニメの懐かしさのみを感じました.

 

エンディングの「リトル・グッバイ」という曲のサビ手前を聴いた瞬間,ゼーガペインとは全く関係がないはずなのに,3年前の9月末の記憶が蘇ってきました.その歌詞が,蓋をしていた記憶を,あまりに想起させるものだったからです.

 

 

時が戻ったら 時が戻ったら 時が戻ったら

キスしてグッバイ

ありとあらゆるもの

 

 

厚い手の平,カビ臭いベッド,至近距離の潤んだ瞳,触れるか触れないかの淡いキス.

 

 

もしあの時に戻って,自分の気持ちの萌芽に向き合っていたら,変わっていただろうかと考えます.しょうもなく表面を撫でるだけの薄っぺらな人間関係から抜け出して,もっと泥臭くうんざりするような,痛みも伴った関係を築ける大人になれていたんだろうか,とか.

 

アニメは25話まで見終わりました.次回が最終回です.

 

もし世界が荒廃し,コンピューターサーバー内の記録データで生きることになったら,迷わず大学4年の9月の一ヶ月間を選ぶだろうと思いました.ゼミ合宿の2日間だけでも良い.人格記憶媒体になって永遠に繰り返すのに十分すぎる,眩しい記憶でした.

しかし,そんな願いすらも結局は,都合の良い人間関係しか編むことのできない自分の内気な性質を象徴しているようでした.だってその記録データ内では,彼に恋人がいても私の過去がどんなに醜くても関係ないから.タペストリーのように,美しく完璧に切り取られているから.

 

人格記憶媒体にはなれないので,文章に残すことにしました. 

 

明日も相変わらず仕事ですが,今年の夏休みの五連休は,伊豆に一人旅にでも行こうかと考えつき,少し気分が明るくなりました.猫博物館に行くなら,靴紐のあるスニーカーを履いて行くことも忘れてはならないな,とも思いました.