Kim & Jessie & ......

見つけてもそっとしておいてください……。

教団Xの感想(および切ない話)

中村文則の教団Xが文庫化されたので我慢ならずに購入してしまった。

本はキリが無いので新刊で買うのを控えて借りたり古本にしたりしてたんだけど、今回はTポイントが使えてハッピーな気分になった。

こんなことでハッピーになれるなんてだいぶ俗っぽくなってきたし、うるせーおかんに着々と近づいてることを実感。

親、ラインですぐに最近近所のドラッグストアやらスーパーのポイントは貯めてるんか?と確認してくるからうざい。他に確認することないのか、距離感をつかめず卒のない話題を選ぼうと必死なのか......。

 

それは置いといて、600ページを3日で読み切った。論文のための文献もそれくらいのスピードで読めよ自分。

感想なんだけど、まあね、3分の1くらいで薄々思ってたけどね、完全な期待外れだった。

期待外れのクリーンヒット、気持ちが良いくらいの読後のイマイチ感。

まあ、刊行当初から酷評が多いし、アマゾンの評価も悪かったので、そもそも期待はあんまりしてなかったんだけど、うーーんやっぱ自分でせっかくお金(ポイント)を出して購入したものだから、切ない。中村文則は初期の作品をいくつか読んでいて、すごく好きな雰囲気だった記憶がある。でも教団Xを読むと、こんな感じの文章を書く人だっけ?と拍子抜けしてしまった。

久々に会う人、私の脳内では確かすごく魅力的な人だったよなあと思い意気揚々待ち合わせに向かうんだけど、あれ、なんかこんな......しょぼい人物だっけ?となることがある。年をとると多くなりそうな現象。

これに近い。これが一番切ない(*)。

作品のどんな点にそう思ったかというところなんだけど、まず人物に難あり。

これはコメントでも多く指摘されてることで、登場人物が多いわりに見分けがつかない。全くその通りで、私は低脳な読者だからうーーんと唸りつつ何度も前のページに戻ってしまった。特に女性はみんな同じ。一周回って人物の見分けをつけなくすることが狙いなのか?でも、それを狙うことで読者の頭を混乱させる一要因になることくらいしかメリット(?)が浮かばない。そもそも長い長い専門的な記述の部分で、すでに読者は頭ちゃんちゃらちゃんなのだ。これ以上混乱させる要因を作ってどうする。

そう、それぞれの人物たちの演説(=専門的記述)が長くこれが苦痛なんだ......。

展開も、どこが事件のピークなのか?結局何がしたかったのか?わからないし説得力もない。まあそんな風にメリハリのない一連の出来事を描きたかったなら、そうか、と納得せざるを得ないんだけど、現実世界の人間の行動は動機がわからない場合が多いので(自分を含め)、物語の中でぐらい、自己がしっかりあって熱く主張できる人間を造形してほしい。明確な理由、動機を持たせて欲しい。そんな人、現実では友達にはならないけどさ絶対。だって暑苦しいし。でも、テロなどの主題を描く非私小説なら、そんな人物を登場させてほしい。そして絶望の淵に突き落とすか僅かな希望を見出させるか、そんなものを用意してくれよ。大衆文学なんだから読者を安心させてほしい。傲慢か。でもそういう要素は少しは含めてほしいな。そうか!と膝を打つような。こいつら頭いいな!と尊敬できるような......。

メリハリがない」というのが、物語を構成するどの要素にも当てはまるイマイチ感の原因かもしれない。

 

思えば、今まで読んだ中村作品はずっと一人称で語られていたから読みやすかったのかも。それにどれも短編だったし。

ということは、長い作品や視点がコロコロ変わる物語には耐えられない作家なのか?それともプライベートで何か良い出来事があったから、頭がお花畑になってしまい創作能力が低下したのか。

後者ならいいな。

そこは素朴に一個人としての幸せを願ってますよ。

 

最近つくづく、私は平凡で善良な人間だなと思う。性格、そんなに悪くないんだよ......。その分頭の回転も鈍いってことだろうけど。

 

相変わらず中村文則は好きなので、さて家にある遮光と土の中の子供を読み返してそうそうこれこれ!って言いたいね、と本棚を探しまくってるんだけど、どっちもないやんけ。

妹に貸しっぱにしてたかもしれない。

 

以下、「頭の中で自然と偶像を作り上げていたが実際は違った」現象の切なさについて、メモしておく。

主要な切なさは、やっぱり相手が思ったほど偉大な人ではなかったことに起因する切なさなんだけど、30%くらいは、そんな風に思ってしまう自分の薄汚れた目への失望に近い。もしくは、いろいろな人と出会って自分の世界が広がったことへの、つまりはもう前の自分には戻れないことに対する寂しさかもしれないな。信仰を持てる日は遠い。

 

教団Xの中で印象に残った箇所を引用してさいならする。

 

「私は今、あなたによってどうにでもなる」

「あなたの意志一つで、私の命はどうにでもなる。それが嬉しい。私は完全にあなたのものになっている。私の意志などいらない。ただあなたに身を任せていればいい。あたなから苦痛を与えられ、あなたから命を、喜びを与えられ、私は無条件にあなたに従う犬になった。もっと陵辱してください。もっと抱いてください。私は、私は」

 

一見強烈だけど、めっちゃ陳腐、よく読むと大したことない一節だ。

信仰に近い依存の願望は多分みんなあるし、私も妄想する。このためなら死ねるし、この欲望の達成のためならなんでもするわ!とか、この人の言うことはなんでも受け入れられるとかそんなものの究極形が引用したセリフかもしれない。所有されたい欲。

このセリフを吐いてるのは治安の悪いアフリカの国の少女って設定になってるけど、こういうこと考えてるの圧倒的に先進国の若い人が多いでしょ。

リキッドモダニティってやつの弊害だよこの極度な所有欲は。知らんけどさ。

登場人物の回想シーンに出てくるセリフだから、絶対脳内変換は加えられてるだろうが、こんなことを言いたい/言われたいはどっちも共感できる。

 

しかし、こんなことを本当は一生誰にも言いたくないし言われたくもない。こうしたセリフが人生に影響を及ぼすことはないんじゃないか。

正しい生き方も幸せもないし押し付けるつもりもないけども、仮に自分がこのセリフを言われる沢渡という男だったとして、どんな返答をするか。

 

「確かにお前は今、私によってどうにでもなる」

「というかそれってつまり、幼児期の親的存在に私がなるということか。親の支配から逃れた時の開放感を覚えているか。確かに、誰かの意志に完全に従い自主性を放棄するのは楽だ。しかしいずれは迎える限界を、そしてそこから逃れるスリルや快感をも先取りし、嬉しさを感じているんじゃないか。今はそうじゃなくても、絶対にそうなる。支配と解放はその一連のサイクルに意味があり、両段階に快感がある。私は寂しがり屋だから、支配し逃げられた時の悲しさを思うと虚しい。殺してもおんなじだ。DVをする奴がよく、完全に自分のものにしたいから監禁し殺したんだなんていうが、違う。残るのは虚しさだと私は思う。誰も支配したくないし誰も手放したくない。でもそんな生き方は、なんだそれ。それは生きてて楽しいのか?どんな風に実現させるんだ?私は、私は」